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ようこそ私のホームページへ!

 1998年12月、その日は突然やってきました。
 実はこれより5年前、胆石を煩い胆嚢摘出手術を受けたのですが、胆嚢が無くなったことから他への影響を心配して、3ヶ月毎に検査を受けていたにも拘わらずの出来事でした。


 学生時代に管楽器を吹いていて常に力んでいたせいか痔が悪く、少々の痛みについてはあまり気にしてはいなかったのですが、若い時代に経験したのとはあまりに違う痛みに耐えかねて内視鏡検査を受けてみたところ、悪性の腫瘍があることが判明しました。
精密検査の結果、肛門にまで浸潤している癌で、肛門ごとガン細胞を取り除かなければならないことが判明し、愕然としたことを覚えています。


 ストーマ(人工肛門)との付き合いはそれから始まり、今年で約4年の歳月が流れようとしています。
 
 しかしながらこの約4年間の歩みは決して平坦なものではなく、先ずやってきたのは切除したはずの元肛門部が再度侵され、次には前立腺へと癌細胞の転移は遠慮会釈なく進みました。
9回に亘る入退院と4度の手術、3度の放射線治療を経て、更に抗ガン剤による点滴治療や薬と神経ブロックによる疼痛コントロールを続けながら痛みや排尿困難と闘う毎日でしたが、最近になって(2002年9月)排尿困難から腎不全で入退院を繰り返すに至り、結局膀胱瘻(ぼうこうろう)の手術まで受けることになってしまいました。


主治医から延命策の一つとして、膀胱・前立腺全摘手術をしてはどうかとの話がある中、「人間としての尊厳」の観点からこれ以上はいやだと主治医を困らせておりましたので、このような厳しい状態がいつかは来るであろうことは覚悟していました。急性腎不全で二度の緊急入院をするに至り、また相田みつおさんの「病気のときは病気になりきって命いぱい生きること」を思い出し、前言を翻して膀胱瘻手術を決意した次第です。

 話はこれより二年前に遡りますが、3度目の手術を終えたあと(2001年1月末)、主治医から「このままいくと5年生存率(2006年1月26日まで)は20%以下」だと宣告されました。
勿論、最初に癌の宣告を受けた時に死は覚悟したことなので、この宣告には不思議とあまりショックも受けず、主治医の説明を淡々と聞きながら「これからの限られた時間をどのように有意義に生きようか....」等と考えていました。
手術後の自宅療養中にいろいろ考えて結論を出しました。

 残された時間を好きなことをして過ごすのも一つの生き方、また今の私のように「あと何日働くことが出来るのだろう。今の内に目標をもって精一杯働こう」と考えて仕事に復帰し、病気と闘う私の生き様や歩んだ軌跡を家族に見てもらい、更には、少しでも世の中に役立つことをこの間に残してみたい、と考え実践しようとするのもまた一つの選択肢であり生き方なのです。

 正直、あと何年・・・・とふと考えることがよくあります。
死に対する不安というよりは、自分の子供達や愛する妻がこれから先歩む道を確認出来ないまま逝ってしまう、という寂しさの方が先に脳裏をよぎってしまい、心が締め付けられるように痛くなるときがあります。
そんな時は、人間という生き物である限り遅かれ早かれいずれは死が訪れるものなんだと考えるようにしています。
病気のことはできるだけ忘れ、精一杯明るくはつらつと快活に、目の前にある目標にだけ向かって邁進し「懸命に生き抜く」こと、それが今の自分にできる精一杯の”強がり”と”家族に対する愛情”だと考えています。

そんな中、入院中の出来事ですが、ストーマ患者が病室で装具の交換をしていたことがあり、あまりに強烈な臭いに同室者が大変迷惑をした場面がありました。
その時「これは患者の責任ではなく、きっとストーマ患者が守らなければならない日常生活に不可欠な基本的なエチケットや、日常生活に必要とされる事柄について学んでいないことが原因なんだ」と考えました。

 医師は患者の病気を治すことはしても、患者が退院してから先の、そして退院後すぐに必要となる日常生活に不可欠な事柄や心の支えになるような事柄についてまではなかなか教えては頂けません。また超が付くほどの激務の中でそこまでの時間もとれないのが実状ではないかと考えます。
 このことはコンピュータで言う「ハードとソフトウエア」の関係に似ており、ソフトウエアの部分がなければコンピュータとして機能しないのと同様に、ハンディキャップを背負うことを余儀なくされた患者は、日常生活に必要な事柄や知識そしてメンタルな支え等々が備わってはじめて健常者と同じような快適な生活(=つまり完璧なコンピュータとして機能するようになる)を手に入れることが出来るようになるのです。


 これらのことが引き金となり、約4年間付き合ったストーマ経験を生かし、自分でソフトウエアの部分を創ってしまおうと考え、入院中のベッドの上であれこれと構想を練りました。
退院後、書き進めるうちにあれも必要これも必要となり、当初の構想であった「装具の使い方やエチケット・マナー」を中心とした内容が徐々に変化してしまい、ストーマ全般に亘る内容にまで広がってしまいました。
また、「膀胱瘻」についてはまだ初心者の身ではありますが、手術を決意して今まで学んで得た知識と経験を少しでも早く載せることの方が大切と考え、「ストーマと上手に付き合う方法」に「膀胱瘻と上手に付き合うには」「痛みとの闘い」を付け加えた三部構成にすることにしました。

自分に残された時間は決して充分にあるとは思えませんが、こうしてコンピュータに向かうことが出来る限り、「限られた時間を有効に有意義に生き抜く」という「強い気」がある限り、これからも内容を詰めてVersion-upを重ね、世の中のオストメイト(=ストーマを持っておられる方々のこと)の方々や膀胱瘻を造設された方々に、私の経験が少しでもお役に立てる内容に育て上げていきたいと考えています。

 このホームページを訪れた方々のご感想やご意見、または「こうすればもっと快適に過ごせる」というような新たな工夫等々のご提案についてご協力頂ければこれ程嬉しいことはありません。
皆様のご一報をお待ちしております。

■自己紹介
  ・名前:中村陸郎(Nakamura Rikurou)
  ・性別:男
  ・生年月日:1944年11月21日生まれ
  ・血液型:A型
  ・住所:浜松市
  ・趣味:楽器演奏、音楽鑑賞、旅行、
GOLFテニス、写真撮影
       (※印は病気後控えさるを得なくなった好きなこと)


■直腸ガン治療推移
期日・期間 治療・症状 CEA 病院名 備考:
'98年 12月 21日 '99年 1月 26日 直腸ガン・人工肛門手術で入院(ステージ分類はStage-3) H医療センター 手術後9ヶ月が経過した頃から切除部分の周辺に激痛が始まり、K主治医に症状を訴えるも「異常なし」の答えしかなく『痛ければ仕事を休むしかない』との冷たい返答だけで検査もなし。この一言で病院を変えることを決意。
"Second Opinion"選択
'99年 9月 切除部分(元肛門周辺)の激痛が始まる 24.0
'00年 1月 '00年 このころになると痛みで立っているのがつらい状況となった
2月 26日 3月 6日 腸閉塞入院 40.0
3月 元肛門部周辺に続いて排尿時の激痛も始まる
4月 21日 CT検査の結果、切除部分と前立腺周辺に再発病巣発見される 105.9 松田病院 聖隷浜松病院の紹介状を書いて頂く
5月 8日 7月 8日 抗ガン剤投与と放射線(リニアック)治療で入院 57.9 聖隷浜松病院 【2002年8月現在の症状】
下記の痛みがほぼ毎日のように襲ってきており、痛みで夜中に何度も目が覚めたり、一睡もできない日もあります。
(1)切除部分の痛み
(2)排尿時の痛み
(3)恥骨周辺下腹部の痛み

(4)腰・背中の痛み
現在、主治医に疼痛コントロールの為の特別チームを結成して頂いており、毎日付けている「疼痛の度合いと投薬服用時間」のグラフをもとに、二週間毎にチームと打ち合わせを行いながら、カディアンをベースとしたベストな疼痛コントロール薬を模索しています。
ここまで真剣に私の病気に対して取り組んで下さっている主治医及びスタッフの方々には、感謝してもしても足りないくらいの有り難さを感じています。
9月 15日 10月 4日 腸閉塞入院
10月 5日 '01年 1月 21日 腸閉塞部分及び元肛門周辺切除手術で入院 6.8
'01年 9月 3日 12月 12日 新抗ガン剤投与とピンポイント放射線治療で入院 73.3
12月 痛み(元肛門部と排尿時、下腹部)は治まらず
12月 13日 外来通院治療継続中(週2回の抗ガン剤点滴治療) 98.9
'02年 3月 5日 '02年 71.3
4月 30日 切除部分と恥骨周辺激痛が始まり、排尿も困難となる
5月 29日 6月 25日 疼痛コントロールの為入院 112.5
6月 11日 7月 12日 通院で放射線治療(元肛門部と恥骨周辺に放射線照射)
8月 院内特別チームが編成され、疼痛緩和治療 78.8
10月 2日 10月 8日 腎不全で入院 腹圧での排尿が不可能となる。
10月 12日 10月 20日 腎不全で再入院膀胱瘻の手術を受ける 52.2 尿道を経由したカテーテルでの排尿を試みたが、再度腎不全に陥り、膀胱瘻の手術を受けることになった。
'03年 1月 '03年 120.7
4月 15日 6月 5日 腸閉塞で入院手術 度重なる放射線治療により、小腸が損傷を受けており狭くなった箇所を避けたバイパス手術を実施。
5月 256.0
6月 2日 Thalidomaide服用開始 Thalidomide+Celebrex+トポテシン(週一回)治療開始
7月 187.4 CEA値が下がる。Thalidomide治療の成果か?
10月 21日 10月 22日 疼痛治療で入院 クモ膜下フェノールブロック(神経破壊薬)を実施。激痛箇所は治まったものの、激痛で隠れていた新たな箇所の痛みが顕在化し再治療中。
12月 9日 427.9 CEA値が7月の2.3倍に上がる。
Thalidomide服用は8月で一端中止している。
CT検査の結果、元肛門部周辺及び膀胱・前立腺・恥骨周辺を中心に拡大しており、加えて肺への転移が認められた。
'04年 1月 8日 '03年 1月 12日 腎瘻造設手術で入院 局所転移が進んだ結果、腫瘍が膀胱と尿管を圧迫し、排尿が滞った為に尿毒素の影響で下半身が極端に腫れてしまった。
最後までいやだと断っていた腎瘻造設手術を緊急実施。

  ※CEA=(Carcinoembryonic Antigen癌胎児性抗原のこと。がん組織が分泌する特異な物質で、血液や尿中から検出されます。
           
癌の進行状況を知る目安とされ、正常値は〜5となっています。(腫瘍マーカーとも言います) 

Top Page Introduction Stoma表紙(目次) 膀胱瘻表紙(目次)
痛みとの闘い 時の過ぎゆくままに〜 あとがき

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