このコーナーは、まだ僕がこうやってコンピュータに向かうことができる内に、病状をはじめとして毎日いろいろ感じたことや日々の出来事・悩み・想い出等々を思いつくままに書いてみようと付け加えたページです。 |
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現在抱えている問題は毎日起こる疼痛で日常生活さえもが不自由になってきたことだ。恐らく見た目にはごく普通の顔をしているので(努めて背筋を伸ばし明るい顔をするようにしているが・・・)、その実態を知るとまさかと思われると思うけれども、実態は痛みは横になっていない時は常にあるし、激痛が始まると歩くことは勿論できないし寝たままじっと痛みが去るのを待つ状態になってしまう。 現在の具体的な症状としては下記の4点があげられる。 1.切除部分周辺(元肛門部)の激痛→転移によるもの 2.尿道付け根周辺の激痛→転移によるもの 3.食後に襲ってくる下腹部の痛み→放射線障害で小腸にダメージ(詰まっている) 4.体がだるくて思うように動かない→転移が進んだことの影響? 5月に行った腸閉塞の手術で判明したことだが、小腸が骨盤内部の方まで落ち込んでおり、更に度重なる放射線治療で分離や切除が不可能な状態にまで癒着しており(固まりとなっている)、これが腸閉塞の原因となっていた。 今回の手術では何とか自力で食事が可能になるようにと、ダメージを受けている小腸をそのままにして(これ以上いじることは不可能な状態なので)、食事が通過できるバイパスを作ることで問題解決を図って頂いたが.......。
入院する度に自分の体の機能が一つずつ失われていく現実に、生への執着はあまり無いくせに寂しさと悲しみが入り交じった複雑な気持ちになるのは何故なのだろう? 神様が自分に与えた試練だが、今後の課題としてあげられるのは下記の点。 1.転移しているガン細胞(元肛門部分周辺、前立腺)をいつまでおとなしく させられるか 2.放射線でダメージを受けた小腸がいつまで持ちこたえられるのか 3.手術後一年経過した膀胱瘻の状態がいつまで持ちこたえられるのか 今回の手術で主治医にお願いしたのは「自分に残された時間を有意義に過ごせるよう、自力で生活が出来る体にしたい」ということでした。 もちろん現在でも全て自力で全てやっており、外見上は全く健常者と変わらないものの、一番の問題は冒頭で述べた疼痛の問題。 毎日襲ってくる激痛は睡眠時間を奪い、体力を奪い、そして精神的な部分まで不安定にし...。 今のところ何とか鎮痛剤及び神経ブロック治療でこの激痛と闘ってはいるものの、いつまでこの苦しみが続くのだろうかと時々考え込んでしまう昨今である。 |
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★激痛が無くなった! 10月末に聖隷浜松病院のペインクリニックで行った「クモ膜下フェノールブロック」でとうとう長年苦しんだ激痛箇所が治まった。約4年間に亘って苦しんだ痛みだけに、主治医の吉井先生には感謝しても感謝してもし足りない程の、言葉では言い尽くせない感謝をしている。 しかしながらあれ程苦しんでいた激痛箇所が無くなったのだから「これでやっと苦しみから解放される」と喜んだのも束の間、なんと今まで激痛で隠れていた箇所が新たに痛み始め(肛門部下部の両サイド及び会陰部・そして食後に度々発生する下腹部痛)、痛みで座ったり歩いたりすることが非常に苦しく、現在も疼痛治療の為の神経ブロック治療を続けている。 以前と比べると格段に楽になったことだけは事実だが・・・・・。 体がだるくて思うように動かないのは「局所転移が進んだ」ことと、どうも「痛みとの関連」があるように思える。 残された時間を有意義に生きるため、そして目標を達成する為に、どうしても「寝たきりにだけはならないこと」を合い言葉に頑張りたい!! |
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★誕生日そして長女のこと 今、午前2時だから、僕の59回目の誕生日は昨日ということになってしまった。 早いもので、来年の11月21日で60歳定年退職を迎えることになることになり、当初の目標であった「定年退職までは無事に勤め上げたい」と言う目標は何としても達成したいけれども・・・。 今のような休職している状態で定年を迎えたくないというのが本音で、何とか早く復職をし、理想的には最後に会社に役立つノウハウを残し、元気な姿でお世話になった会社に別れを告げたいと考えている。 そんな誕生日に、長女から「お父さん!相談したいことがあるの」といつになく真顔で言われた。 内容は娘の将来に関することで、要約すると下記の内容であった。 ・今の会社で仕事を続けても、今抱いている自分の夢を達成することができないこと。 ・現在の年齢が23歳で、目標を達成する新たな道に進めるのはこれが最後のチャンス になるであろうこと。 ・夢を追いかけるには浜松ではチャンスが無く、東京に出たいと言うこと。 僕が密かに恐れていたことがとうとうやって来てしまったと言うのが正直な気持ちであった。 と言うのは、昨年東京の専門学校を卒業して就職する際、僕の病気のことがあって無理矢理浜松へ帰ってきた経緯があり、いつかはまた東京へ出たいと言い出すであろう・・・・・・と考えていたからである。 またもう一つ遡って考えてみると、長女は普通大学進学コースも受験し合格していたのだが、自分の得意な分野で生きて行きたいとこれを断り、東京芸術大学を目指すも2回失敗し、結局3年生の専門学校へ進んだ。卒業制作の作品がオランダまで出展されたという経緯もあり、結局それらの評価(自信)を背景に、現在自分がやっている仕事と自分の夢とのあまりのギャップに耐えられなくなっての今回の決断に至ったのだろうと推測する。 娘の相談に対する僕の答えは下記であった。 ・答えはNo!何故ならば東京ではその日を生活することに精一杯となり、とても夢や目 標を追いかけられるだけのお金や時間も持てなくなくなるだろうから。 ・夢や目標を追いかける姿は美しいし立派だと思うが、夢や目標だけに終わらないよう、 あくまでも現実を直視した上での決断であるべき。 ・現在は僕が休職中の身で、本当に不甲斐なく申し訳ないけれども金銭的な援助はで きないこと。 ・将来への設計図が書き上がり、相手との折衝が終わるまで、今の会社は辞めないこ と。 ・その設計図を見た上で親としての最終判断をさせて欲しいこと。 このようなことを娘に話したが、「女の子だけに手元に置いておきたい」と言うことと「金銭的なサポートが不可能なこと」そして「僕自身の命がそんなに長くは持ちこたえられないだろうこと」が背景にあって、非常に苦しい判断をせざるを得なかった。 僕の本音は「よお〜し!やれるところまで頑張ってみろ!!応援するから!」と言ってやりたかったところにある。 会話の中では敢えてであるが、下記のようなかなり厳しい言葉も浴びせてしまった。 ・我が儘ではないのか。 ・今の職場に不満があって、それからの逃避では無いのか。 ・みんな生きるためにある程度の我慢をして働いている。 ・少なくとも浜松では生活は出来るのだから、時間の余裕やお金の余裕も持てて、夢の 達成へは今の方が近道のように思える。何故浜松では出来ないのか。 ・自分の実力を過大評価しているのではないのか。 等々を言ってしまったが「私が夢を追いかけたり、私が幸せになろうと努力をすることが我が儘なの?」と言われてしまい、それ以上は言えなくなってしまった。 一方では、これだけの主張が出来る娘に育ってくれたことに嬉しさも感じてしまったのは一種の親バカなのかも。 正直、前述の本音の部分にあるように言ってやれなかったことを反省している。 「我が儘なのではないか」と言ってしまったが、我が儘なのは僕自身なのである。はずかしい限りである!!娘が新たに進もうとしている道を精一杯の力を振り絞ってサポートしてあげたいと今は考えている。 |
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浜松駅にオストメイトの為の素晴らしいトイレが出来ていますので、ご紹介します。
ただひとつだけ残念に思うのは、これだけの行き届いた設備がありながら、案内表示が駅構内には全くなく、駅北口地下はその場所まで行かないと解らないいことです。理想的には案内表示が無くても、身障者マークがあるトイレには全てオストメイト専用便器が備え付けられているという姿ですが・・・。 ご参考までにオストメイトの為の表示サインは下記です。(この表示が国際的なものなのか、それとも日本だけのものなのか、若しくはメーカー単独のものなのかは不明です。)
☆前述した通り、案内表示が無くせっかくの素晴らしい設備が知られていない。 ☆トイレットペーパーの取り付け位置が高すぎて使いづらい。 ☆交換したストーマ袋やパウチ(面版)を入れて廃棄する為のビニール袋(25x35p程度 の大きさ)を備え付けておくべき。 ☆便器の高さが調節できるようであれば女性、男性、子供でも使いやすくなる。 ☆シャワー付きでお湯が出る設備の場合は、恐らくストーマ袋やストーマを洗浄できるよ うに考えられたものと思われますが、ストーマ洗浄の場合は便器の形状にもう一工夫 が欲しい。 ☆お湯が出ない設備の場合は、絶対にお湯が出るようにすべきです。(便を洗い流しや すい為)
次にご紹介したいのは、浜松駅北口にあるような立派なものでは無く、どちらかというと駅構内に設置してある規模感の、自宅でも追加設置可能なものをご紹介します。
自宅用のトイレに関する関連コメントをご覧になりたい方は、第一部「ストーマと上手に付き合う方法」の中にある下記をクリックして下さい。 ☆「4.洗腸について」の項目中「(5)トイレ内の工夫」 ☆「14.エチケットについて」
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11月25日に実施した血液検査による腫瘍マーカー(CEA)の結果が今日の検診で判明した。体調の変化でCEA値が上がっているであろうことは想像できたが、実際に主治医から結果を聞くと複雑な心境になった。 どう逆立ちして悩んでみてもどうにもならないことなのだが・・・・・・・・。 1998年の発病からのCEA値推移と主要な治療推移を纏めてみると下記のようになる。
1)’98年末最初の手術から7ヶ月目で再発し、痛みと共にCEA値は上がり続ける。 2)’00年5月の放射線治療で患部が小さくなった所を10月の手術で切除、CEA値は一桁台 にまで下がるものの、再度上昇。 3)その後放射線治療と手術で若干の改善は見られたものの、傾向としては上昇傾向。 4)’03年6月からのサリドマイド+セレブレックス+点滴(トポテシン)治療は効果的だったが、 (1月121から5月256へのCEA値上昇カーブで7月を想定するとCEA値は324となる筈が、 サリドマイド服用2ヶ月でCEA値は187を示しており、想定値の42%ダウンになっている) 点滴の副作用が激しく何度も治療を中断。 結果、11月に見られる最高値を記録することになったと推測する。 |
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昨年末(12月18日)に行ったCT検査の結果、元肛門部周辺から膀胱、前立腺、恥骨周辺にか けて腫瘍が拡大しており、加えて肺の一部にまで転移が拡がっていることが判明した。
になってしまった。 とは言いながら今の疼痛の苦しみを考えると、これしきの制約はなんと言うことはないと思っている。 |
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昨日から田舎の両親が遠路はるばる(山口県防府市から)浜松へ訪ねてきてくれている。 当初、年末から正月にかけての訪問予定だったが、大正5年と7年生まれの老齢の体には年末 の混んだ列車はあまりにも過酷な為、混雑が一段落した今の訪問となった。 本来であれば私が帰省しなければならないところなのだが、今の健康状態では無理なことからこの ようなことになってしまった。 久しぶりに両親と家族とで味わう鍋を囲んでの夕食や談笑はとてつもなく心地よく、いつまでもこの 幸せが続いてくれれば・・・・とつくづく感じる。 反面、親父が「おまえがこのような体でなかったらなあ〜」と何度となく言い、それが最もつらい瞬 間となる。そのような時は「僕がこのような体になったから それとひきかえに今みんなでこうして幸 せな一時を味わえているのかも知れないよ!要は考え方次第で幸せになったり不幸せになったり するのであって、どうせなら幸せになれるように考えた方が得じゃあないか」と言っています。 考えてみると、今の家は両親を浜松へ呼び寄せる為に建てたものなのだが、両親にとって故郷を 離れるのは相当な決断が必要なことから、また、私の病気が原因となって、一緒に生活する予定は ずるずると今日まで延びてしまっている。 あとどの位時間が残されているのか正確なことは分からないけれども、残された時間を親孝行の まねごとをしながら過ごすことができれば、これほど幸せなことはないのだけれども・・・・・・。 あれは今から20年位前のことだったと記憶しているが、母が脳血栓で危篤に陥ったことがあった。 会社の予算編成会議のまっただ中でその連絡を受けた私はすぐさま列車に飛び乗り、はやる気 持ちを何とか抑えながら病院へかけつけたことをまるで昨日の出来事のように思い出します。 一週間ほど病院に寝泊まりしながら看病をした結果、主治医もびっくりのまるで奇跡のような回復を 見せ、今に至るまで元気に長寿を全うすることが出来ているわけであるが・・・・・・。 母のまくらもとで祈ったこと「神様!母を助けて下さい。助けて頂けるなら何でもします・・・・」と。 両親が長寿を全うできていること、そして私が癌という病気に冒されたこと、これはその時に神様と 交わした約束事が今履行されている・・・・・・・などと時々考えることがあります。 あまり信心深くない私ではありますが、前述したようなことを考えるとこの際もう一度いくつかのお願 い事をしたいと思う。 「両親より先に逝ってしまう親不孝だけは避けたい」こと。 「残された時間を両親と一緒に過ごせる環境にしたい」こと。 「妻や子供達が幸せな道を歩めますように」 お願いばかりであまりにも欲張りすぎかな??? |
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三ヶ月もご無沙汰をしてしまった"As time goes by"となってしまったが、決してサボっていたとか、書くことに興味を無くしたのでは無く、実は今年に入って既に五度も救急外来の門をたたかざるを得ないような大きな体調の変化に見舞われてしまっていたのです。 大きな変化とは、既に"As time goes by"の冒頭でお話ししたように、過度の放射線による障害は小腸周りだけに止まらず最近では膀胱にまで及んでおり、それによって膀胱と大腸との癒着が発生して食べたものが膀胱に逆流するようになってしまっていたのです。 それが原因となって、いつもの「激痛との闘い」は勿論のこと、「食べること」「歩くこと」「眠ること」さえもがきつくなっていたのです。 ガン細胞の局所転移拡大とそれに伴う体力の低下は速度を増してきたようで、特に3月に入ってからは、救急外来へ駆け込む度に失った体の機能が原因となる、体力の衰えに自分自身が驚かされているような情けない状況だ。 通常、週3回の通院だけは何とか自分で車を運転して行くものの、昨日は駐車場から病院へ行く為に渡る道路で、早く道路を渡らなければと足に力を入れた途端、両足の力が抜けて道路に腹這い状態で倒れ込んでしまい、バスの急停車を誘って危うくバスにひかれそうになってしまった。(遠鉄バスの運転手さんそして乗客の皆さん、ごめんなさい!これからは近道をせず横断歩道を渡るようにします!)
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